「吉野織格子」紬帯地
人間国宝 宗廣力三作

商品番号 m0275
販売価格 有難うございました

商品説明

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※こちらはお仕立の加工代金を含めた販売価格となっております。
 (特殊なお仕立・加工をご希望の方はお問い合せください。)

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【宗廣力三】
1914年 岐阜県郡上郡八幡町(現・郡上市)に生まれる。
宗廣氏は特別な産業がなかった内陸部の土地で、郡上郡青年団理事として地元の若者を義勇軍として育て、大陸満洲へと世の中の気運が高まっていた折には満洲開拓へ若者を送り出す事にも尽力されたそうです。
類まれな積極性と指導力をお持ちだったのであろうと想像します。
戦争が終わって1946年頃から引き上げが始まり、戻ってきた人々が住む家も就く仕事もないという厳しい状況を目にして開拓農地を開き、皆を受け入れ、多くの人が関われて現金収入につながりやすい機織りを勧められ、ご自身もその研究に奔走されました。
それまでにも郡上地方では養蚕も機織りも行われていましたが、地元の人々のために織られるような地織的なものであったようです。それを改良され、京都の染織試験場長の指導を受け、より良いものへと変えていかれました。
1952年、地元の蚕からとれる真綿の糸を地元の草木で染め手織りで織る伝統的な紬の創作が「郡上工芸研究所」として本格的に始まりました。
京都の陶芸家・河合寛次郎氏を訪ねて作品を見せて指導を仰ぎ、京都の老舗呉服屋さんと取引を始められたり、白洲正子さんの「こうげい」でも作品を扱われたりと、多方面へ活躍の場を広げられました。
(写真は先日、京都の河合寛次郎記念館を訪れた際のものです。ここでお話をされたのかしらなどと思いを馳せながら撮影させていただきました。)
その後も個展をされたりしながら、日本伝統工芸展にも出品されご活躍されましたが、1980年に体調の面から工房を神奈川県に移され、また新たな世界を開いていかれたようです。
伝統的でありながら古くなく、しかしながら伝統に基づいて創作されたものが持つ力強さと輝き、色のときめきがあり、一目見てそれとわかる個性のあるのが「郡上紬」です。
本来の目的は周りの人の生活を支えるためであったものを、長きに渡る研究と創作を続けてその世界を確立された宗廣力三氏は素晴らしい人であったでしょうと思います。
1982年 重要無形文化財「紬縞織・絣織」の保持者に認定。
1989年11月21日没。